教会案内


■概要

カトリック西新教会は1953年に創立されました。

地下鉄西新駅から徒歩5〜6分ですが、

町の喧噪がうそのように静かな住宅街に位置しています。

福岡市西部のカトリック信者が集う教会で、信者数は約1300人。

子どもも多く活気ある教会です。

 

幼稚園が併設されており、以前は教会の建物と一体でしたが、

2020-21年に大規模な工事が行われ、

敷地内の北側に幼稚園の園舎ができました。

また、教会の建物にエレベーターが付きました。

 

改修を終えた教会の建物は1階が駐車場と信徒の活動用の部屋、

2階が司祭館および信徒会館、

3階が聖堂です。

 

(→ 工事完了のお知らせ もご覧ください)

 

 守護聖人は日本26聖人の一人「聖パウロ三木」で、

聖堂正面の左側に像があり、祭壇には聖遺物が安置されています。

また、26聖人が長崎・西坂の殉教の丘に向かって歩いた旧街道

(現・サザエさん商店街通り)がすぐそばを通っています。


■主任司祭

 山元 眞(まこと)神父(2022年4月〜)

新田原教会(福岡県)出身。

フランス人宣教師の幼稚園長に影響を受けて、

子ども時代に司祭に憧れる。

これまでにローマ、北九州地区、筑後地区の教会、

教区事務局、小神学校などで奉仕。

司祭叙階43年目。

洗礼名は大天使ミカエル。

 

  


■聖堂案内図

■守護聖人 聖パウロ三木

聖パウロ三木は1564年頃に摂津の国(現在の大阪府北西部・兵庫県南東部)で

生まれました。

5歳の時に両親や兄弟とともに受洗し、

1580年安土城下にイエズス会のセミナリオ(神学校)が開かれると

第一期生として入学します。

そして22歳でイエズス会に入会すると、仏教の教義にも詳しく、

柔和と謙遜を備えた修道士として優れた説教をしました。

 

1596年12月、豊臣秀吉の命令により大阪のイエズス会修道院で捕らえられ、

翌年1月には他のキリスト者と共に耳を削がれてから、

見せしめのため引き回されて、大阪から長崎まで歩かされました。

厳しい冬の寒さのなか、パウロ三木は道中も休みなく

キリストの道を説き続けたといいます。

Saint Paul Miki

(of 26 Martyrs of Japan)


「私はまさしくキリスト様の教えを説きました。

 そのために磔にあって死ぬことを、最も潔しとし、心から神様に感謝するものであります。

 

 私は今、死に臨んで真実のみを語ります。

 あなた方ご自身が幸福になられますように、キリスト様にお助けをお願いください。

 私はキリスト様に従いました。キリスト様に倣いまして、私を迫害する人をゆるします。

 私はその人々を恨みません。私は神が、すべての人々の上に、あわれみたもうことを祈ります。」

(パウロ三木の十字架上の説教より)

 

パウロ三木をはじめ、26人のキリスト者が西坂の丘で十字架刑に処されたのは

1597年2月5日のこと。

この出来事はイエズス会等によってローマに報告され、

驚きと崇敬の的となり30年後には列福されました。

さらに1862年に列聖されて「日本二十六聖人」と呼ばれるようになります。

命を賭けて信仰を証した日本の聖人たちは、いまも世界中で崇敬を受けています。

 

 

Saint Paul Miki and

three Martyrs’ Relics


■沿革

1953年(S. 28)

教会創設  青木功神父着任 (信徒数 40名)

1956年(S. 31) 西新カトリック幼稚園開設
1962年(S. 37) 平田勇神父着任
1964年(S. 39) 聖堂兼幼稚園ホールおよびルルド建設
1979年(S. 54) 川口康頼神父着任
1980年(S. 55) 牧山藤房神父着任
1983年(S. 58) 新聖堂献堂  ルルド正門前へ移設 (信徒数960名)         
1984年(S. 59) 山川辰幸神父着任
1991年(H. 3)

糸島教会創設(信徒215名分離)

1992年(H. 4) 平田敬神父着任
2001年(H. 13) 下町豊重神父着任
2003年(H. 15) 創立50周年記念式
2008年(H. 20) 森山信三神父着任
2014年(H. 26) 青木悟神父着任
2015年(H. 27) 中村彰神父着任 (信徒数 1328名)
2019年(R. 1) フランシスコ教皇来日、信徒約110名がミサに参加(長崎県営野球場)
2021年(R. 3) 幼稚園新園舎および教会エレベーター建設、信徒会館増築、ルルド移設
2022年(R. 4) 山元眞神父着任