復活祭(イースター)は、十字架にかけられたイエス・キリストが
三日目に復活したことを記念する日です。
キリスト教最大の祝日であり、
復活徹夜祭(今年は4月9日)のミサで洗礼式が行われます。
復活祭を迎えるための準備の期間が「四旬節」です。
(日曜を入れずに40日を数えるので、 計6週間と少しの期間になります)
四旬節には毎年、教皇がメッセージを発表し、
回心と愛のわざに励むよう呼びかけられます。
今年はカリタスジャパン担当司教もメッセージを発表し、
前教皇であるベネディクト16世の回勅『神は愛』の内容を紹介しています。
このタイトルの「愛」という言葉が、原語では「カリタス」です。
・・・ヨハネの手紙一が述べているように(一ヨハネ4・10参照)、
まず神がわたしたちを愛しました。
そして、この神の愛はわたしたちのただ中に現されました。
・・・まず神がわたしたちを愛しました。
そして神はわたしたちを愛し続けます。
だから、わたしたちもまた、この愛にこたえることができます。
・・・神が「まず愛する」からこそ、
わたしたちの内にこの愛へのこたえが芽生えるのです。(『神は愛』17)
今回は四旬節の祈りとして、『神は愛』の末尾に収められた聖母への祈りを紹介します。
『神は愛』42
十字架につけられた主は弟子に
ーーすなわち、ヨハネと、ヨハネを通して
イエスのすべての弟子にこういいました。
「見なさい。あなたの母です」(ヨハネ19・27)。
このことばは、すべての時代に、
つねに新たに真実のこととして実現します。
マリアは本当に、すべての信じる者の母となりました。
すべての時代、すべての地の人が、
いつくしみ深い母であり、
清く麗しいおとめであるマリアにより頼みます
ーー困難のときも、希望するときも。
喜びのときも、悲しみのときも。
孤独のときも、友とともにいるときも。
人は、マリアの心の底から流れ出るいつくしみのたまものと、
その尽きることのない愛をつねに感じます。
すべての大陸と文化の人がマリアに感謝を表します。
それは、自分のことを求めず、ただひたすら善を望む、
清い愛をマリアの内に認めたからです。
同時に、このような信者の信心には、
どうすればそのような清い愛が存在しうるかについての、
確かな洞察が示されています。
愛は神との深い一致から生まれます。
この一致によって、魂は完全に神に満たされます。
こうして、神の愛の泉から飲むと、
その人の内から「生きた水が川となって流れ出る」(ヨハネ7・38)ことが可能になるのです。
おとめであり母であるマリアよ。
愛がいかなるものであるかを、
愛はどこから生まれ、どこからつねに新たな力を得ることができるかを、
わたしたちに示してください。
・・・・・・
神の母である聖マリア、
あなたは世に、真の光として
あなたの子にして、神の子であるイエスを与えてくださいました。
あなたはご自身をすべて神の招きへとささげて、
神から流れ出るいつくしみの源となりました。
わたしたちにイエスを示してください。
わたしたちをイエスへと導いてください。
わたしたちにイエスを知り、イエスを愛することを教えてください。
わたしたちもまた真の意味で愛し、
渇いた世のただ中で
生きた水が流れ出る源となることができますように。